2026年4月20~24日(教養講座:『羅生門』を味わう)
~~~ 長谷川塾メルマガ 2026年4月20日号(転送禁止)~~~
***デイ・ウォッチ(17~19日/コメントも参考にしながら自分の考えをまとめましょう)
◎中国 人型ロボットのハーフマラソン大会 技術力をアピール | NHKニュース →中国のロボット能力はすごい。人間のハーフマラソンの記録(57分20秒)を大幅に上回る50分26秒を記録した。去年は2時間40分だったというから、日進月歩だ。日本と比べてAIやEVでも圧倒的な力で、日中は対立している場合ではないだろう。政治・経済には大局的な判断が必要だ。
◎トランプ大統領「私の代表団がパキスタンへ向かっている」 | NHKニュース →アメリカとイランの再交渉が近くあるのか。核開発・濃縮ウランの取り扱いで対立し、ホルムズ海峡の開放もはっきりしない。トランプ大統領はこん棒外交を展開しているが、イランのメンツを立てる振る舞いも必要ではないか。見通しのない協議がだらだら続くのは世界経済にとって最悪だ。「負けるが勝ち」ともいう。
◎長野県北部で震度5強 地震活動続く 1週間程度は注意 | NHKニュース | 長野県、地震 →18日午後、長野県北部で地震があり、大町市で震度5強、長野市で震度5弱を記録した。この地域では過去に同程度の地震が続発したことがあり、1週間は注意が必要だという。熊本地震から10年で多くのニュースが流れた時期だった。改めて地震列島だと感じる。
◎石油販売会社5社を起訴 軽油カルテル、独禁法違反罪―個人は立件見送り・東京地検:時事ドットコム →公正取引委員会が告発していた石油販売5社の軽油カルテルで、東京地検が起訴した。担当者が24年10~12月、都内の飲食店で販売価格を合意していた。長年続いていたとみているが、今はなくなったのだろうか。イラン情勢を受けた石油製品目詰まりの一因ではないのだろうか。
◎両陛下、「りくりゅう」ねぎらう 木原選手「新たに二人で挑戦」―春の園遊会:時事ドットコム →フィギュアの「りくりゅうペア」が、園遊会出席にあわせて引退を公表した。ねぎらいの言葉をかけられて木原選手は「三浦さんが奮い立たせてくれて、フリーで立ち直ることができました」と振り返り、三浦選手は「私が今度は支える番になろうと決心しました」と述べた。「金」の威力は大きい。
◎40度以上は「酷暑日」 気象庁決定、一般調査でトップ―気象協会が22年から使用:時事ドットコム →気象庁は40度以上を「酷暑日」と呼ぶことを決めた。アンケート調査で1位だった。2位は「超猛暑日」、3位は「極暑日」、4位は「炎暑日」、5位は「烈暑日」だった。「サウナ日」もあったという。気象協会は2022年から使っている。今年の酷暑日は何日あるのだろうか。
*** 「今日の名言」(気に入った言葉を探してみましょう)
◎アルベルト・アインシュタイン(ドイツ生まれの理論物理学者。1955年4月18日死去、76歳)
「失敗したことのない人間は、挑戦をしたことのない人間である」 「成功者になろうとしてはいけない。価値のある男になるべきだ」 「私は賢いのではない。問題と長く付き合っているだけだ」 「常識とは、18歳までに積み重なった、偏見の累積でしかない」 「学校で学んだことを一切忘れてしまった時になお残っているもの、それこそ教育だ」 「自分自身の目で見、自分自身の心で感じる人は、とても少ない」 「一見して馬鹿げていないアイデアは、見込みがない」 「天才とは努力する凡才である」 「何かを学ぶのに、自分自身で経験する以上に良い方法はない」 「6歳の子供に説明できなければ、理解したとは言えない」 「国家が要求しても良心に反することをしてはいけない」 「人の価値は、その人が得たものではなく、その人が与えたもので測られる」 「優れた科学者を生み出すのは知性ではなく、人格である」 「シンプルで控えめな生き方が、体にも、心にも、最善であると信じています」
*** 今週の教養講座(羅生門①)
先々週、筑摩書房の高校国語教科書(精選国語総合 現代文編)から評論文5編を紹介しました。今週は小説を掲載します。芥川龍之介の名作として有名な「羅生門」です。黒澤明の映画にもなっています。読んだり見たりした人は多いと思いますが、忘れている向きも多いでしょう。5日間で全文を掲載します。極限状態に置かれた人間のエゴと強さを描いています。
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ある日の暮れ方の事である。一人の下人(げにん=身分の低い者)が、羅生門の下で雨やみを待っていた。
広い門の下には、この男のほかに誰もいない。ただ、所々丹塗(にぬり=赤や朱色で塗ること)の剥げた、大きな円柱(まるばしら)に、蟋蟀(きりぎりす)が一匹とまっている。羅生門が、朱雀大路(すざくおおじ)にある以上は、この男のほかにも、雨やみをする市女笠(いちめがさ=中央が高いすげ笠)や揉烏帽子(もみえぼし=柔らかく作ったえぼし)が、もう二、三人はありそうなものである。それが、この男のほかには誰もいない。
何故かと云うと、この二、三年、京都には、地震とか辻風(つじかぜ=つむじ風)とか火事とか饑饉(ききん)とか云う災(わざわい)がつづいて起った。そこで洛中(らくちゅう=京都の町中)のさびれ方は一通りではない。旧記によると、仏像や仏具を打砕いて、その丹(に)がついたり、金銀の箔(はく)がついたりした木を、道ばたにつみ重ねて、薪(たきぎ)の料(しろ)に売っていたという事である。洛中がその始末であるから、羅生門の修理などは、もとより誰も捨てて顧みる者がなかった。するとその荒れ果てたのをよい事にして、狐狸(こり=キツネやタヌキ)が棲(す)む。盗人(ぬすびと)が棲む。とうとうしまいには、引取り手のない死人を、この門へ持って来て、棄てて行くという習慣さえ出来た。そこで、日の目が見えなくなると、誰でも気味を悪がって、この門の近所へは足ぶみをしないことになってしまったのである。
その代りまた鴉(からす)がどこからか、たくさん集って来た。昼間見ると、その鴉が何羽となく輪を描いて、高い鴟尾(しび=屋根の巨大な飾り)のまわりを啼(な)きながら、飛びまわっている。ことに門の上の空が、夕焼けであかくなる時には、それが胡麻(ごま)をまいたようにはっきり見えた。鴉は、もちろん、門の上にある死人の肉を、啄(ついば)みに来るのである。――もっとも今日は、刻限(こくげん=決まった時間)が遅いせいか、一羽も見えない。ただ、所々、崩れかかった、そうしてその崩れ目に長い草のはえた石段の上に、鴉の糞(ふん)が、点々と白くこびりついているのが見える。下人は七段ある石段の一番上の段に、洗いざらした紺の襖(あお=公家の平服で、庶民も着るようになった)の尻を据えて、右の頬に出来た、大きな面皰(にきび)を気にしながら、ぼんやり、雨のふるのを眺めていた。
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