米中首脳会談の歴史

2026.10.05教養講座

*** 今週の教養講座(米中首脳会談の歴史①)

 アメリカのトランプ大統領と中国の習近平主席が会談した。日本は同盟国であるアメリカの視点から中国を見がちだが、アメリカは大きく変わりつつある。視点を世界規模に広げ、米中関係の行方を冷静に見極める必要がある。米中は今回、第二次世界大戦の「同盟国」と強調したが、朝鮮戦争から冷戦期を除いて、超大国同士の絆は決して浅くない。日本は過去の米中の歴史を踏まえて未来を考えなければならない。1972年のニクソン訪中以降の首脳会談をまとめた。重層的な関係が時代によって変遷してきたことがわかる。

第1期 接近と国交正常化(1972~1979年) ニクソン、毛沢東、鄧小平――敵対する2つの大国が手を結ぶまで

1972年2月21日、米国のニクソン大統領が北京の空港に降り立った。出迎えた周恩来首相と握手を交わす。朝鮮戦争以来、敵対してきた米中が和解へ踏み出した歴史的瞬間だった。なぜ、反共主義者として知られたニクソンが共産主義国家を訪れたのか。背景にはソ連の存在があった。米国はベトナム戦争に苦しみ、中国はソ連との国境紛争を経験していた。両国には、思想の違いを超えて接近する戦略的利益が生まれていた。

この外交を準備したのが、ニクソンの側近キッシンジャーである。1971年、秘密裏に北京を訪問し、周恩来と交渉した。中国側では毛沢東が接近を決断し、周恩来が実務を担った。訪中初日、ニクソンは毛沢東と会談した。中国革命の指導者と米国の反共政治家が向き合う光景は、世界に衝撃を与えた。両国は訪中最終盤に「上海コミュニケ」を発表し、国交正常化を目指すことで一致した。しかし、台湾問題では立場の違いを残した。

歴史の歯車は動き始めたが、正常化への道は平坦ではなかった。1974年、ウォーターゲート事件でニクソンが辞任。後継のフォード大統領は翌年、北京で毛沢東、鄧小平と会談した。しかし、台湾との外交関係を断つ問題などで進展はなかった。1976年には周恩来と毛沢東が相次いで死去。中国は指導者交代の混乱に直面した。転機をつくったのは、米国のカーター大統領と中国で実権を握った鄧小平だった。カーターは中国との正常化を進め、鄧小平は改革開放に向けて米国の技術や資本を必要としていた。

1978年12月、両国は国交正常化を発表。翌79年1月1日、正式に外交関係を樹立した。米国は中華人民共和国政府を中国の唯一の合法政府として承認し、台湾との外交関係を断った。ただし、台湾との非公式な関係は維持した。

同月末、鄧小平が訪米し、カーター大統領と会談した。テキサスではカウボーイ帽をかぶり、米国民に親しみやすい姿を見せた。中国の最高指導者が米国社会に直接接する新しい時代の幕開けだった。もっとも、両国の利害が完全に一致したわけではない。鄧小平はベトナムへの軍事行動の意向を伝え、カーターは思いとどまるよう求めた。国交正常化は、対立の消滅を意味しなかった。

この8年間を動かしたのは、ニクソンの戦略、毛沢東の決断、周恩来の交渉、カーターの外交、鄧小平の改革構想だった。米中は理念の違いを残しながら、共通利益によって敵対関係を転換した。冷戦の構図を変え、中国が世界経済へ踏み出す外交的基盤を築いた時代である。

    ♦

*** 今週の教養講座(米中首脳会談の歴史②)

第2期 冷戦下の協力と天安門事件(1980~1991年)  レーガンと鄧小平――反ソ連で結ばれた協力関係の試練

1980年、共和党のロナルド・レーガンが大統領選挙に勝利した。反共主義を掲げ、台湾との関係を重視し、中国に警戒感を抱かせた。1979年に国交を正常化したばかりの米中関係は、早くも試練を迎えた。中国で実権を握っていた鄧小平にとって、最大の課題は改革開放を軌道に乗せることだった。経済建設には米国の資本や技術が必要だったが、台湾問題で譲歩するつもりはなかった。

両国の対立を象徴したのが、米国による台湾への武器売却である。交渉の末、1982年8月、米中は共同コミュニケを発表した。米国は台湾への武器売却を長期的に減らす意向を示したが、台湾関係法に基づく関係は維持した。問題は解決されず、政治的な妥協によって管理された。それでも、両国を結び付ける強い力があった。ソ連である。1979年のソ連によるアフガニスタン侵攻以降、米中はソ連の影響力拡大を警戒していた。

1984年1月、中国の趙紫陽首相が訪米し、レーガンと会談した。科学技術や経済協力を進め、同年4月にはレーガン自身が中国を訪問した。北京で鄧小平らと会談し、原子力の平和利用を含む協力について協議した。台湾問題で意見が異なっても、協力できる分野を広げる外交だった。

しかし、1980年代後半、国際情勢が変化する。ソ連ではゴルバチョフが改革を進め、米ソ関係が改善した。米中を結び付けていた反ソ連という共通利益の重要性は次第に低下した。1989年2月、米国の新大統領ジョージ・H・W・ブッシュが北京を訪問した。かつて北京の米国連絡事務所長を務めたブッシュは、中国指導部との関係を重視していた。鄧小平との会談でも、協力関係の継続を確認した。

ところが、わずか4か月後の6月、天安門事件が発生した。民主化を求める学生や市民の運動を中国政府が武力で鎮圧し、国際社会から強い批判を浴びた。ブッシュ政権は対中制裁を発動した。一方、ブッシュは中国との関係を完全に断つことを避け、スコウクロフト大統領補佐官らを秘密裏に派遣した。人権問題への対応と戦略的な関係維持の間で、米国外交は揺れ動いた。

1991年、ソ連が崩壊した。米中を接近させた冷戦構造そのものが消滅したのである。この時代は、レーガンと鄧小平が共通利益を背景に協力を拡大し、ブッシュが天安門事件後の関係維持に苦心した時代だった。米中関係は、戦略的な協力だけでは政治体制や人権をめぐる対立を乗り越えられないことを示した。

    ♦

*** 今週の教養講座(米中首脳会談の歴史③)

第3期 関係修復と経済的相互依存(1992~2012年)  クリントンと江沢民――世界の工場となった中国と米国の選択

1992年、ソ連崩壊後の世界で、米中関係は新たな方向を探していた。米国は唯一の超大国となり、中国は天安門事件による国際的な孤立から抜け出そうとしていた。中国の最高指導者・鄧小平は同年、南方視察を行い、改革開放の加速を訴えた。市場経済を取り入れ、外国企業を呼び込み、経済発展を優先する。その路線を引き継いだのが江沢民だった。

翌1993年、米国では民主党のビル・クリントンが大統領に就任した。選挙戦で中国の人権問題を批判したクリントンは、中国に与える最恵国待遇の更新を人権状況の改善と結びつけた。しかし、経済界からは中国市場への期待が高まっていた。同年11月、クリントンと江沢民はシアトルのAPEC首脳会議で会談した。天安門事件後、関係が冷え込んでいた両国の首脳が、対話を再開する機会となった。

1994年、クリントンは方針を転換する。人権問題と最恵国待遇を切り離し、経済交流を続けることを決めた。中国を国際経済に組み込むことが、長期的には関係の改善につながるという考え方だった。しかし、台湾問題が再び表面化する。1995年、台湾の李登輝総統の訪米を米国が認めると、中国は強く反発した。翌年には台湾周辺でミサイル演習を実施し、米国は空母を派遣した。経済協力が進んでも、安全保障上の対立は消えなかった。

1997年10月、江沢民が米国を公式訪問した。クリントンとの会談では、人権、核不拡散、経済、安全保障などを幅広く協議した。翌1998年にはクリントンが中国を訪問し、北京で江沢民と公開の場でも意見を交わした。両首脳は、政治体制の違いを認めながら、関係を拡大する道を探った。その成果を象徴したのが中国の世界貿易機関(WTO)加盟である。1999年、米中は加盟条件について2国間合意に達した。2001年12月、中国は正式に加盟した。中国製品が世界市場へ広がり、米国企業も中国で生産や販売を拡大した。

同年9月、米国で同時多発テロが発生した。翌10月、ブッシュ大統領と江沢民は上海で会談し、対テロ協力を協議した。米中関係には安全保障上の新たな協力分野も生まれた。2008年、世界金融危機が発生すると、米中は世界経済の安定という課題を共有した。中国は巨大な経済力を持つ国へ成長していた。

2011年1月、胡錦濤国家主席が米国を公式訪問し、オバマ大統領と会談した。経済不均衡や人民元、北朝鮮、人権などを協議したが、両国の立場の違いも明らかになった。この20年間は、クリントンと江沢民が関係修復を進め、ブッシュと胡錦濤が経済交流を拡大した時代だった。中国は世界の工場となり、米中は互いに欠かせない経済相手になった。しかし、その相互依存の裏側で、貿易不均衡や安全保障上の摩擦も蓄積していた。

    ♦

*** 今週の教養講座(米中首脳会談の歴史④)

第4期 大国間競争への移行(2013~2020年)  オバマ、トランプと習近平――協調を模索した時代から貿易戦争へ

2013年3月、習近平が中国の国家主席に就任した。中国はすでに世界第2位の経済大国となり、国際社会での存在感を高めていた。習近平は「中華民族の偉大な復興」を掲げ、中国の国際的地位を高める方針を示した。同年6月、習近平は米国カリフォルニア州のサニーランズでオバマ大統領と会談した。両首脳はネクタイを外し、庭園を歩きながら意見を交わした。

習近平が提唱したのは「新型大国関係」である。既存の大国と台頭する大国が衝突する歴史を繰り返さず、相互尊重と協力によって共存するという構想だった。ただし、米国は中国のいう「核心的利益」の範囲を警戒し、この構想を全面的には受け入れなかった。それでも、協力の成果は生まれた。2014年11月、北京で会談した両首脳は、温室効果ガスの排出削減目標を共同発表した。世界有数の排出国である米中の協力は、翌年のパリ協定成立を後押しした。

一方、南シナ海では中国による人工島の造成が進み、米国は航行の自由を重視して反発した。2015年9月、習近平が訪米した際には、サイバー攻撃についても協議し、商業的利益を目的とするサイバー窃取を政府が実施・支援しないことで合意した。協力と対立が並行する時代だった。

2017年1月、米国ではドナルド・トランプが大統領に就任した。トランプは中国との貿易赤字や不公正な貿易慣行を批判し、従来の対中政策を見直そうとした。同年4月、トランプは習近平をフロリダ州のマールアラーゴに迎えた。北朝鮮問題や貿易不均衡を協議し、経済問題に関する100日計画を始めた。

しかし、翌2018年、米国は中国製品への追加関税を発動した。中国も報復関税で応じ、米中貿易戦争が始まった。同年12月、アルゼンチンのG20首脳会議で両首脳は会談し、追加関税の引き上げを一時見送った。2019年6月の大阪G20でも交渉再開で合意したが、対立は半導体や通信機器などの技術分野に広がっていた。

2020年1月、米中は第1段階の貿易合意に署名した。中国は米国製品の購入拡大などを約束したが、多くの追加関税は残った。さらに新型コロナウイルスの感染拡大を受け、感染源や初期対応をめぐる非難の応酬が起きた。香港、新疆ウイグル自治区、台湾をめぐる対立も深まった。

この8年間は、オバマと習近平が大国間の共存を模索し、トランプと習近平が貿易や技術をめぐって対立した時代だった。経済的な相互依存を前提とする協力から、経済そのものを安全保障と結びつける競争へと、米中関係の性格が変わったのである。

    ♦

*** 今週の教養講座(米中首脳会談の歴史⑤)

第5期 戦略的競争と対立の管理(2021~2026年)  バイデン、トランプと習近平――対立を続けながら衝突を防ぐ外交

2021年1月、ジョー・バイデンが米国大統領に就任した。トランプ政権の対中追加関税を基本的に維持しながら、同盟国との協力を重視する政策を進めた。中国との競争を続ける一方、気候変動などでは協力する方針だった。中国では習近平が権力基盤を強化していた。2022年の共産党大会で総書記として異例の3期目に入り、米国との長期的な競争に備える姿勢を示した。

両国の緊張を高めたのが台湾問題だった。2022年8月、米国のペロシ下院議長が台湾を訪問すると、中国は台湾周辺で大規模な軍事演習を実施した。同年11月、バイデンと習近平はインドネシアのバリ島で会談した。バイデン就任後、初めての対面首脳会談だった。台湾、ウクライナ戦争、経済問題などを協議し、競争が衝突に発展しないよう意思疎通を続ける方針を確認した。

しかし、2023年2月、米国上空を飛行した中国の気球を米軍が撃墜し、関係は再び悪化した。米国は偵察用と説明し、中国は民間の気象観測用と主張した。同年11月、両首脳は米国カリフォルニア州ウッドサイドで会談した。軍当局間の対話再開、合成麻薬フェンタニル対策、人工知能のリスクなどで合意した。台湾や半導体をめぐる対立は続いたが、偶発的な軍事衝突を防ぐ仕組みの再建を進めた。

2024年11月、ペルーのリマでバイデンと習近平が最後の対面会談を行った。核兵器使用の決定には人間が関与すべきだとの認識を確認した一方、台湾や経済安全保障をめぐる意見の違いは残った。2025年1月、トランプが大統領に復帰した。追加関税を交渉手段として活用する政策を強め、中国も報復関税やレアアースの輸出管理で対抗した。両国の貿易摩擦は再び激化した。

転機は同年10月30日、韓国・釜山で訪れた。トランプと習近平が約6年ぶりに対面し、関税やレアアース、農産物などを協議した。米国は一部関税を引き下げ、中国は一部の輸出管理措置を停止するなど、双方が譲歩して貿易休戦に至った。翌2026年5月、トランプが北京を訪問した。両首脳は貿易・投資に関する協議の枠組みを設け、中国による米国産農産物などの購入拡大について合意した。しかし、合意の履行には遅れも生じた。そして9月末、両首脳はワシントンで再び会談した。関税、レアアース、人工知能、台湾などが議題になった。完全な詳細はまだ明らかになっていないが、米国の中間選挙前で中身より演出が優先されたとされている。

 これまでを貫く歴史的な変化は、米中を結びつける力が変わったことである。 1980年代はソ連への警戒、1990年代から2000年代は経済的な利益が協力を支えた。2010年代には中国の台頭に伴って競争が強まり、2020年代には競争そのものを管理することが首脳外交の重要な役割になっている。両国の関係は世界に大きな影響を与える。中国の隣国で、米国の同盟国でもある日本は、米中関係に目を凝らし、自分の頭で未来を考え、模索する必要がある。