高階秀爾の『近代絵画史』 印象派からピカソへ

2026.08.24教養講座

*** 今週の教養講座(高階秀爾の近代絵画史①)

絵画は人間の創造性が発揮される基本的な領域です。中世以降、宗教画や宮廷画が主流でしたが、19世紀から劇的な変化が起きました。美術評論家で2年前に亡くなった高階秀爾氏の名著「近代絵画史」(中公新書)を参考に、印象派からピカソに至る変容をたどり、近代絵画は何を変えたのかを探ります。

【1】印象派――「もの」ではなく「見え方」を描く

19世紀後半、フランスで登場した印象派は、西洋絵画の歴史を大きく転換させた。重要なのは、それまでの絵画が何を目指していたかを知ることである。ルネサンス以来、西洋絵画は遠近法や明暗法を発達させ、3次元の現実世界を2次元の画面にできるだけ正確に再現しようとしてきた。歴史画や宗教画では、物語を分かりやすく伝えることも重視された。

そこに大きな変化をもたらしたのがマネである。パリで育った都会っ子のマネは、「草上の昼食」などで伝統的な主題や遠近法などの立体表現を離れ、絵画が平らな画面であることを意識させた。そしてモネ、ルノワール、ピサロ、シスレーらは、その革命をさらに進めた。彼らは伝統的な官学・アカデミー派からは激しい非難を受けたが、関心を持ったのは、対象そのものよりも、対象が「その瞬間、どのように目に映るか」という問題だった。

モネの《印象・日の出》が象徴で、港、船、水面、朝日が細密に描かれているわけではない。光と色の断片が画面に置かれ、それを見る者の目の中で風景が成立する。印象派という名称そのものが、この作品に由来している。彼らはアトリエを出て戸外で制作した。太陽の光は刻々と変化する。同じ木や建物でも、朝と夕方、晴天と曇天ではまったく違って見える。モネがルーアン大聖堂や積みわらを繰り返し描いたのはそのためである。重要なのは大聖堂という「もの」ではなく、その表面に現れては消える光だった。

ここで絵画の目的が変わる。画家は「世界はこうである」と描くのではなく、「私には今、世界がこう見える」と描くようになったのである。近代絵画における「個人」の登場といってよい。しかし印象派が光の追求を徹底すればするほど、新たな問題も生まれた。光は一瞬で変化する。その瞬間だけを追い続ければ、画面から形や構造、さらには人間の感情まで失われてしまうのではないか。印象派が切り開いた自由は、次の世代に新しい問いを残した。その問いに答えようとしたのが、セザンヌ、ゴッホ、ゴーギャンらである。近代絵画はここから、1つの道を全員で進むのではなく、複数の方向へ分岐し始める。

    ♦

*** 今週の教養講座(高階秀爾の近代絵画史②)

【2】セザンヌ、ゴッホ、ゴーギャン――印象派を超える3つの道

印象派以後の絵画を考えるとき、セザンヌ、ゴッホ、ゴーギャンという3人は決定的に重要である。3人とも印象派から多くを学びながら、それだけでは満足しなかった。そして興味深いことに、3人が進んだ方向はまったく異なっていた。

セザンヌが求めたのは「認識」である。印象派の画面では、光によって物体の輪郭が溶けていく。だがセザンヌは、自然の背後には変化しない秩序があると考えた。山、家、木、リンゴなどを、円筒、球、円錐などの基本的な形として捉えようとしたのである。とりわけ《サント=ヴィクトワール山》の連作では、山や木々は単なる風景ではない。色面が組み合わされ、画面全体が1つの建築物のように構成されている。さらに、1つの固定した視点だけで対象を捉えないという試みも見られる。後にピカソとブラックが展開するキュビスムは、このセザンヌの問題意識を受け継ぐことになる。

ゴッホが求めたものは「感情」であり、「愛・激情・情念」が特徴だった。彼にとって色彩は、現実を忠実に再現するためだけのものではない。黄色い空、激しくうねる青、燃え上がるような糸杉。実際の色から離れていても、自分の内面を表現できればよかった。《星月夜》の夜空は、天文学的に正確な夜空ではない。それはゴッホ自身の心を通過した夜空なのである。

一方、ゴーギャンは異国という「想像」の世界へ向かった。文明化されたヨーロッパ社会から離れ、ブルターニュやタヒチに、自分が失った原初的な世界を求めた。彼の絵では遠近法や自然な色彩は重視されない。大きな色面と明確な輪郭によって、現実と神話、記憶と夢が同じ画面に共存する。

3人の違いを整理すると分かりやすい。セザンヌは「認識を通じた構造」、ゴッホは「心の感情」、ゴーギャンは「想像と象徴」を追求したのである。ここに20世紀絵画へ向かう3本の道が生まれた。セザンヌからキュビスムへ、ゴッホからフォーヴィスムや表現主義へ、ゴーギャンから象徴主義や抽象的表現へと道が開かれていく。印象派が「見えるもの」を解放したとすれば、この3人は「画家が感じ、考え、構成する世界」を解放したのである。

    ♦

*** 今週の教養講座(高階秀爾の近代絵画史③)

【3】色彩の解放――ゴッホからフォーヴィスム、マティスへ

20世紀初頭になると、近代絵画の変化は一段と激しくなる。その最初の大きな爆発がフォーヴィスムである。「フォーヴ」とはフランス語で「野獣」を意味する。批評家が、マティス、ドラン、ヴラマンクらの激しい色彩を見て、彼らを「野獣」と呼んだことからこの名称が生まれた。

なぜ彼らの絵がそれほど衝撃的だったのか。それは、色が現実から独立したからである。伝統的な絵画では、木は緑、空は青、肌は肌色というように、色は基本的に対象に従属していた。印象派はそこから一歩進み、光によって変化する色を描いた。しかしフォーヴィスムでは、さらに大胆な飛躍が起きる。顔を緑にしてもよい。木を赤くしてもよい。空を黄色くしてもよい。画家が必要だと思えば、現実とは違う色を自由に置くことができる。

この道を準備したのがゴッホとゴーギャンだった。彼らはすでに、色彩には対象を説明する以上の力があることを示していた。色そのものが感情や精神を表現できるのである。その可能性を最も洗練された形で展開したのがアンリ・マティスである。マティスの作品では、赤、青、緑などの鮮やかな色彩が画面全体を支配する。《赤い部屋》を見ると、壁とテーブルの境界さえ曖昧になり、赤い色面の上に模様や人物が配置されている。ここでは、3次元の部屋を正確に再現することよりも、画面全体の色彩の調和が重要になっている。

これは西洋絵画の長い伝統から考えれば大事件であった。絵画は「窓」のように現実世界を映すものではなくなりつつあったのである。1枚のキャンバスという平面の上に、色と線と形を組み合わせて独自の世界をつくる。その考え方が前面に出てきた。

同じころドイツでは表現主義が登場する。彼らもまた、現実の正確な再現より人間の不安、孤独、欲望などの内面を重視した。20世紀初頭のヨーロッパには、都市化、科学技術の発達、社会的不安など大きな変化が押し寄せていた。絵画もまた、安定した世界を描くことができなくなっていたのである。

こうして色彩は現実の束縛から解放された。しかし、もう1つ残された問題があった。「形」である。その形を徹底的に解体しようとした人物が、パブロ・ピカソであった。

    ♦

*** 今週の教養講座(高階秀爾の近代絵画史④)

【4】セザンヌからピカソへ――形を壊したキュビスム

ピカソへの道を理解する鍵はセザンヌにある。セザンヌは自然を単に目に映る印象として描くのではなく、その背後にある構造を捉えようとした。この問題をさらに押し進めたのがピカソとブラックであり、そこからキュビスムが生まれた。

転換点となった作品が、ピカソの《アヴィニョンの娘たち》である。5人の女性が描かれているが、その身体は自然な人体表現から大きく離れている。顔は仮面のようで、身体は鋭い線によって分割され、背景と人物の境界さえ不安定である。そこにはセザンヌだけでなく、アフリカ彫刻など西洋以外の造形から受けた衝撃も反映されていた。

キュビスムが問い直したのは、「見る」とは何かという問題だった。例えばコップを正面から見れば円形の口は楕円に見える。しかし私たちは、それが本当は円形であることを知っている。人間を見る場合も同じで、正面からは見えない横顔や後頭部が存在することを知っている。それなら、1つの固定された視点だけから描くことが、本当に対象を捉えることなのだろうか。

ピカソとブラックは、1つの対象をさまざまな角度から見て、それらを1枚の画面に同時に組み込もうとした。その結果、人物や楽器、瓶などは細かな面に分解され、再構成される。ルネサンス以来の遠近法が前提としていた「1人の人間が、1つの場所から、一瞬に世界を見る」という仕組みそのものが崩されたのである。

ここでセザンヌとのつながりが明確になる。印象派が「瞬間の視覚」を追求したのに対し、セザンヌはその背後の構造を求めた。ピカソはさらに進み、対象をいったん分解し、画家の認識によって組み立て直した。つまり絵画は、目に見える世界を写すものから、世界を「考える」ものへ変わったのである。

これは写真の普及とも無関係ではない。現実を正確に記録するだけなら写真がある。ならば絵画にしかできないことは何か。近代の画家たちはその問いに直面した。ピカソの答えの1つが、「見たものを写すのではなく、知っているもの、考えたものを画面上に再構成する」という方法だった。キュビスムによって、絵画は現実の再現という長い役割から大きく解放されたのである。

    ♦

*** 今週の教養講座(高階秀爾の近代絵画史⑤)

【5】印象派からピカソへ――「見る絵」から「考える絵」へ

印象派からピカソまでの約半世紀を振り返ると、近代絵画の歴史は、単に新しい流派が次々に登場した歴史ではないことが分かる。それは「絵画とは何か」という問いを、画家たちが次々に深めていった歴史である。

出発点となった印象派は、伝統的な絵画の約束事から画家の目を解放した。モネたちは、物には固定された色があるのではなく、光によって絶えず変化して見えることを発見した。重要なのは「何がそこにあるか」から「どのように見えるか」へ移った。

しかし、その革命には次の問題が生まれた。瞬間的な光だけを追いかけて、絵画は成り立つのか。そこでセザンヌは構造を、ゴッホは感情を、ゴーギャンは想像と象徴を求めた。この3方向への分岐が、20世紀美術を準備する。さらにマティスらフォーヴィスムは、色彩を現実から解放した。木が赤くても、顔が緑でも構わない。色は対象の色ではなく、画家が画面をつくるために選ぶ色となった。

そしてピカソとブラックは形を解放する。対象を1つの視点から描くというルネサンス以来の原則を捨て、複数の視点から見た形を分解し、再構成した。ここに至って絵画は、現実世界を忠実に再現するという使命から決定的に離れていく。

この流れを一本の線として捉えると理解しやすい。「対象を描く」から「光を描く」へ。「光を描く」から「感情や構造を描く」へ。「現実の色」から「画家の色」へ。「見える形」から「考えられた形」へ。近代絵画の歴史とは、画家が1つずつ自由を獲得していく歴史だったともいえる。

新しい画家は突然現れるのではない。印象派の問題の中からセザンヌが生まれ、セザンヌの問題からピカソへと道が開かれる。一方、ゴッホやゴーギャンの問題意識はフォーヴィスム、表現主義、象徴的な芸術へつながっていく。二十世紀美術の多様な運動は、印象派で頂点に達した写実の追求を、それぞれ異なる方法で乗り越えようとしたものなのである。したがって、ピカソの絵を見て「なぜこんな形に描くのか」と戸惑う必要はない。そこには印象派以来、半世紀にわたって積み重ねられた問いがある。

近代絵画を見る面白さは、完成した作品を見るだけでなく、「前の世代の何に不満を感じ、何を変えようとしたのか」を考えることにある。そうして見ると、モネからセザンヌ、ゴッホ、ゴーギャン、マティス、そしてピカソへと続く道筋が、1つの壮大な「見ること、考えることの歴史」として浮かび上がってくる。