芥川龍之介「羅生門」(2026年4月20~24日)

*** 今週の教養講座(羅生門①)

先々週、筑摩書房の高校国語教科書(精選国語総合 現代文編)から評論文5編を紹介しました。今週は小説を掲載します。芥川龍之介の名作として有名な「羅生門」です。黒澤明の映画にもなっています。読んだり見たりした人は多いと思いますが、忘れている向きも多いでしょう。5日間で全文を掲載します。極限状態に置かれた人間のエゴと強さを描いています。

   ◆

ある日の暮れ方の事である。一人の下人(げにん=身分の低い者)が、羅生門の下で雨やみを待っていた。

広い門の下には、この男のほかに誰もいない。ただ、所々丹塗(にぬり=赤や朱色で塗ること)の剥げた、大きな円柱(まるばしら)に、蟋蟀(きりぎりす)が一匹とまっている。羅生門が、朱雀大路(すざくおおじ)にある以上は、この男のほかにも、雨やみをする市女笠(いちめがさ=中央が高いすげ笠)や揉烏帽子(もみえぼし=柔らかく作ったえぼし)が、もう二、三人はありそうなものである。それが、この男のほかには誰もいない。

何故かと云うと、この二、三年、京都には、地震とか辻風(つじかぜ=つむじ風)とか火事とか饑饉(ききん)とか云う災(わざわい)がつづいて起った。そこで洛中(らくちゅう=京都の町中)のさびれ方は一通りではない。旧記によると、仏像や仏具を打砕いて、その丹(に)がついたり、金銀の箔(はく)がついたりした木を、道ばたにつみ重ねて、薪(たきぎ)の料(しろ)に売っていたという事である。洛中がその始末であるから、羅生門の修理などは、もとより誰も捨てて顧みる者がなかった。するとその荒れ果てたのをよい事にして、狐狸(こり=キツネやタヌキ)が棲(す)む。盗人(ぬすびと)が棲む。とうとうしまいには、引取り手のない死人を、この門へ持って来て、棄てて行くという習慣さえ出来た。そこで、日の目が見えなくなると、誰でも気味を悪がって、この門の近所へは足ぶみをしないことになってしまったのである。

 その代りまた鴉(からす)がどこからか、たくさん集って来た。昼間見ると、その鴉が何羽となく輪を描いて、高い鴟尾(しび=屋根の巨大な飾り)のまわりを啼(な)きながら、飛びまわっている。ことに門の上の空が、夕焼けであかくなる時には、それが胡麻(ごま)をまいたようにはっきり見えた。鴉は、もちろん、門の上にある死人の肉を、啄(ついば)みに来るのである。――もっとも今日は、刻限(こくげん=決まった時間)が遅いせいか、一羽も見えない。ただ、所々、崩れかかった、そうしてその崩れ目に長い草のはえた石段の上に、鴉の糞(ふん)が、点々と白くこびりついているのが見える。下人は七段ある石段の一番上の段に、洗いざらした紺の襖(あお=公家の平服で、庶民も着るようになった)の尻を据えて、右の頬に出来た、大きな面皰(にきび)を気にしながら、ぼんやり、雨のふるのを眺めていた。

    ◆

*** 今週の教養講座(羅生門②)

作者はさっき、「下人が雨やみを待っていた」と書いた。しかし、下人は雨がやんでも、格別どうしようという当てはない。ふだんなら、もちろん、主人の家へ帰るべきはずである。ところがその主人からは、四、五日前に暇を出された。前にも書いたように、当時京都の町は一通りならず衰微していた。今この下人が、永年、使われていた主人から、暇を出されたのも、実はこの衰微の小さな余波にほかならない。だから「下人が雨やみを待っていた」というよりも「雨にふりこめられた下人が、行き所がなくて、途方にくれていた」という方が、適当である。その上、今日の空模様も少なからず、この平安朝の下人の Sentimentalisme (サンチマンタリスム=感傷的な気分)に影響した。申(さる)の刻下さがりからふり出した雨は、いまだに上るけしきがない。そこで、下人は、何をおいても差当り明日の暮しをどうにかしようとして――いわばどうにもならないことを、どうにかしようとして、とりとめもない考えをたどりながら、さっきから朱雀大路にふる雨の音を、聞くともなく聞いていたのである。

雨は、羅生門をつつんで、遠くから、ざあっという音をあつめて来る。夕闇は次第に空を低くして、見上げると、門の屋根が、斜につき出した甍(いらか)の先に、重たくうす暗い雲を支えている。

 どうにもならないことを、どうにかするためには、手段を選んでいるいとまはない。選んでいれば、築土(ついじ=土塀)の下か、道ばたの土の上で、飢え死にをするばかりである。そうして、この門の上へ持って来て、犬のように棄てられてしまうばかりである。選ばないとすれば――下人の考えは、何度も同じ道を低徊(ていかい=歩き回る)したあげくに、やっとこの局所へ逢着(ほうちゃく)した。しかしこの「すれば」は、いつまでたっても、結局「すれば」であった。下人は、手段を選ばないという事を肯定しながらも、この「すれば」のかたをつけるために、当然、その後に来るべき「盗人になるよりほかに仕方がない」という事を、積極的に肯定するだけの、勇気が出ずにいたのである。

下人は、大きなくさめ(=くしゃみ)をして、それから、大儀たいぎそうに立上った。夕冷えのする京都は、もう火桶(ひおけ)が欲しいほどの寒さである。風は門の柱と柱との間を、夕闇と共に遠慮なく、吹きぬける。丹塗(にぬり)の柱にとまっていた蟋蟀(きりぎりす)も、もうどこかへ行ってしまった。

下人は、首をちぢめながら、山吹(やまぶき)の汗袗(かざみ=下着)に重ねた、紺の襖(あお)の肩を高くして門のまわりを見まわした。雨風の憂えのない、人目にかかるおそれのない、一晩楽にねられそうな所があれば、そこでともかくも、夜を明かそうと思ったからである。すると、幸い門の上の楼へ上る、幅の広い、これも丹を塗った梯子(はしご)が眼についた。上なら、人がいたにしても、どうせ死人ばかりである。下人はそこで、腰にさげた聖柄(ひじりづか)の太刀(皮などをつけない木地のままの柄の刀)が鞘走(さやばし=刀がさやかから抜けない)らないように気をつけながら、わら草履をはいた足を、その梯子の一番下の段へふみかけた。

     ◆

~~~ 長谷川塾メルマガ 2026年4月22日号(転送禁止)~~~

*** 今週の教養講座(羅生門③)

それから、何分かの後である。羅生門の楼の上へ出る、幅の広い梯子の中段に、一人の男が、猫のように身をちぢめて、息を殺しながら、上の様子をうかがっていた。楼の上からさす火の光が、かすかに、その男の右の頬をぬらしている。短いひげの中に、赤くうみを持ったにきびのある頬である。下人は、始めから、この上にいる者は、死人ばかりだと高をくくっていた。それが、梯子を二、三段上って見ると、上では誰か火をとぼして、しかもその火をそこここと動かしているらしい。これは、その濁った、黄いろい光が、隅々に蜘蛛(くも)の巣をかけた天井裏に、揺れながら映ったので、すぐにそれと知れたのである。この雨の夜に、この羅生門の上で、火をともしているからは、どうせただの者ではない。 

下人は、やもりのように足音をぬすんで、やっと急な梯子を、一番上の段まで這(は)うようにして上りつめた。そうして体を出来るだけ、平らにしながら、首をできるだけ、前へ出して、恐る恐る、楼の内をのぞいてみた。 

見ると、楼の内には、噂に聞いた通り、幾つかの死骸(しがい)が、無造作に棄ててあるが、火の光の及ぶ範囲が、思ったより狭いので、数は幾つともわからない。ただ、おぼろげながら、知れるのは、その中に裸の死骸と、着物を着た死骸とがあるということである。もちろん、中には女も男もまじっているらしい。そうして、その死骸は皆、それが、かつて、生きていた人間だという事実さえ疑われるほど、土をこねて造った人形のように、口を開(あ)いたり手を伸ばしたりして、ごろごろ床の上にころがっていた。しかも、肩とか胸とかの高くなっている部分に、ぼんやりした火の光をうけて、低くなっている部分の影をいっそう暗くしながら、永久におしのごとく黙っていた。 

下人は、それらの死骸の腐爛した臭気に思わず、鼻をおおった。しかし、その手は、次の瞬間には、もう鼻をおおうことを忘れていた。ある強い感情が、ほとんどことごとくこの男の嗅覚を奪ってしまったからである。 

下人の目は、その時、はじめてその死骸の中にうずくまっている人間を見た。檜皮色(ひわだいろ)の着物を着た、背の低い、痩せた、白髪頭の、猿のような老婆である。その老婆は、右の手に火をともした松の木片(きぎれ)を持って、その死骸の一つの顔をのぞきこむように眺めていた。髪の毛の長いところを見ると、たぶん女の死骸であろう。

下人は、六分の恐怖と四分の好奇心とに動かされて、暫時(ざんじ)は呼吸(いき)をするのさえ忘れていた。旧記の記者の語を借りれば、「頭身の毛も太る」ように感じたのである。すると老婆は、松の木片を、床板の間に挿して、それから、今まで眺めていた死骸の首に両手をかけると、ちょうど、猿の親が猿の子のしらみをとるように、その長い髪の毛を一本ずつ抜きはじめた。髪は手に従って抜けるらしい。

    ◆

*** 今週の教養講座(羅生門④)

その髪の毛が、一本ずつ抜けるのに従って、下人の心からは、恐怖が少しずつ消えて行った。そうして、それと同時に、この老婆に対するはげしい憎悪が、少しずつ動いて来た。――いや、この老婆に対するといっては、語弊があるかも知れない。むしろ、あらゆる悪に対する反感が、一分毎に強さを増して来たのである。この時、誰かがこの下人に、さっき門の下でこの男が考えていた、飢え死にをするか盗人になるかという問題を、改めて持ち出したら、恐らく下人は、何の未練もなく、飢え死を選んだことであろう。それほど、この男の悪を憎む心は、老婆の床に挿した松の木片のように、勢いよく燃え上り出していたのである。 

下人には、もちろん、なぜ老婆が死人の髪の毛を抜くかわからなかった。従って、合理的には、それを善悪のいずれに片づけてよいか知らなかった。しかし下人にとっては、この雨の夜に、この羅生門の上で、死人の髪の毛を抜くということが、それだけですでに許すべからざる悪であった。もちろん、下人は、さっきまで自分が、盗人になる気でいたことなぞは、とうに忘れていたのである。 

そこで、下人は、両足に力を入れて、いきなり、梯子から上へ飛び上った。そうして聖柄の太刀に手をかけながら、大股に老婆の前へ歩みよった。老婆が驚いたのはいうまでもない。 

老婆は、一目下人を見ると、まるで弩(いしゆみ=石をはじき飛ばす飛び道具)にでもはじかれたように、飛び上った。

「おのれ、どこへ行く。」 

下人は、老婆が死骸につまずきながら、慌てふためいて逃げようとする行く手を塞いで、こう罵った。老婆は、それでも下人をつきのけて行こうとする。下人はまた、それを行かすまいとして、押しもどす。二人は死骸の中で、しばらく、無言のまま、つかみ合った。しかし勝敗は、はじめからわかっている。下人はとうとう、老婆の腕をつかんで、無理にそこへねじ倒した。ちょうど、鶏(とり)の脚のような、骨と皮ばかりの腕である。

「何をしていた。言え。言わぬと、これだぞよ。」 

下人は、老婆をつき放すと、いきなり、太刀の鞘さやを払って、白い鋼の色をその目の前へつきつけた。けれども、老婆は黙っている。両手をわなわなふるわせて、肩で息を切りながら、目を、眼球がまぶたの外へ出そうになるほど、見開いて、おしのように執拗(しゅうね=しぶとく)く黙っている。これを見ると、下人は初めて明白にこの老婆の生死が、全然、自分の意志に支配されているという事を意識した。そうしてこの意識は、今までけわしく燃えていた憎悪の心を、いつの間にか冷ましてしまった。後に残ったのは、ただ、ある仕事をして、それが円満に成就した時の、安らかな得意と満足とがあるばかりである。そこで、下人は、老婆を見下しながら、少し声をやわらげてこう言った。

「おれは検非違使の庁(=京都の警察・裁判権を持った役所)の役人などではない。今し方この門の下を通りかかった旅の者だ。だからお前に縄をかけて、どうしようというようなことはない。ただ、今時分この門の上で、何をしていたのだか、それをおれに話しさえすればいいのだ。」 

すると、老婆は、見開いていた目を、いっそう大きくして、じっとその下人の顔を見守った。まぶたの赤くなった、肉食鳥のような、鋭い目で見たのである。それから、しわで、ほとんど、鼻と一つになった唇を、何か物でも噛(か)んでいるように動かした。細い喉で、とがった喉仏の動いているのが見える。その時、その喉から、鴉の啼くような声が、あえぎぎ、下人の耳へ伝わって来た。

「この髪を抜いてな、この髪を抜いてな、かつらにしようと思うたのじゃ。」

    ◆

*** 今週の教養講座(羅生門⑤)

下人は、老婆の答えが存外、平凡なのに失望した。そうして失望すると同時に、また前の憎悪が、冷やかな侮蔑といっしょに、心の中へはいってきた。すると、その気色が、先方へも通じたのであろう。老婆は、片手に、まだ死骸の頭から奪った長い抜け毛を持ったなり、蟇(ひき=ヒキガエル)のつぶやくような声で、口ごもりながら、こんなことを言った。

「成程な、死人(しびと)の髪の毛を抜くということは、なんぼう悪いことかも知れぬ。じゃが、ここにいる死人どもは、皆、そのくらいなことを、されてもいい人間ばかりだぞよ。現に、わしが今、髪を抜いた女などはな、蛇を四寸ばかりずつに切って干したのを、干し魚だと言うて、太刀帯(たてわき=皇太子の警護にあたった役人)の陣(=詰め所)へ売りに往(い)んだわ。疫病(えやみ)にかかって死ななんだら、今でも売りに往んでいたことであろ。それもよ、この女の売る干魚は、味がよいと言うて、太刀帯どもが、欠かさず菜料(さいりよう=おかず)に買っていたそうな。わしは、この女のしたことが悪いとは思うていぬ。せねば、饑死をするのじゃて、仕方がなくしたことであろ。されば、今また、わしのしていたことも悪いこととは思わぬぞよ。これとてもやはりせねば、飢え死をするじゃて、仕方がなくすることじゃわいの。じゃて、その仕方がないことを、よく知っていたこの女は、おおかたわしのすることも大目に見てくれるであろ。」 

老婆は、大体こんな意味のことを言った。 

下人は、太刀を鞘さやにおさめて、その太刀の柄(つか)を左の手でおさえながら、冷然として、この話を聞いていた。もちろん、右の手では、赤く頬にうみを持った大きなにきびを気にしながら、聞いているのである。しかし、これを聞いているうちに、下人の心には、ある勇気が生まれてきた。それは、さっき門の下で、この男には欠けていた勇気である。そうして、またさっきこの門の上へ上って、この老婆を捕えた時の勇気とは、全然、反対な方向に動こうとする勇気である。下人は、飢え死をするか盗人になるかに、迷わなかったばかりではない。その時のこの男の心もちから言えば、飢え死などということは、ほとんど、考えることさえできないほど、意識の外に追い出されていた。

「きっと、そうか。」 

老婆の話が終わると、下人は嘲るような声で念を押した。そうして、一足前へ出ると、不意に右の手をにきびから離して、老婆の襟上(えりがみ=襟元)をつかみながら、噛みつくようにこう言った。

「では、おれが引剥(ひはぎ=追い剥ぎ)をしようと恨むまいな。己もそうしなければ、飢え死をする体なのだ。」 

下人は、すばやく、老婆の着物を剥ぎとった。それから、足にしがみつこうとする老婆を、手荒く死骸の上へ蹴倒した。梯子の口までは、僅に五歩を数えるばかりである。下人は、剥ぎとった檜皮色の着物をわきにかかえて、またたく間に急な梯子を夜の底へかけ下りた。 

しばらく、死んだように倒れていた老婆が、死骸の中から、その裸の体を起したのは、それから間もなくのことである。老婆はつぶやくような、うめくような声を立てながら、まだ燃えている火の光をたよりに、梯子の口まで、這って行った。そうして、そこから、短い白髪をさかさまにして、門の下をのぞきこんだ。外には、ただ、黒洞々(こくとうとう=暗黒)たる夜があるばかりである。 

下人の行方は、誰も知らない。

【注】芥川龍之介の「羅生門」は、今昔物語集の説話をもとにしています。結びは当初、「下人は、既に、雨を冒して、京都の町へ強盗を働きに急ぎつつあった」でした。後に「下人の行方は、誰も知らない」に書き改めました。効果的な余韻を残しています。