中満泉・国連軍縮上級代表のNPT講演、東大大学院入学式あいさつ(2026年4月27日~5月1日)

*** 今週の教養講座(中満泉・日本記者クラブ講演①)
きょうから、核不拡散条約(NPT)運用検討会議が開かれます。それに先立って国連事務次長で、軍縮担当上級代表の中満泉さんが来日し、日本記者クラブで講演し、東京大学大学院入学式であいさつをしました。その内容を各2回に分けて紹介にします。
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4月月27日から始まるNPT運用検討会議を前に、今の核軍縮をめぐる状況と課題について、お話ししたいと思います。
最初に申し上げたいのは、今の安全保障環境は、非常に厳しい状況にあるということです。冷戦後に私たちがある程度前提としてきた国際秩序は、すでに大きく揺らいでいます。ウクライナでの戦争、そしてイランをめぐる緊張、こうした状況の中で、核兵器の役割がむしろ強調される方向に動いています。核兵器の近代化や数の増加といった動きも見られ、軍縮ではなく軍拡の傾向が強まっていると言わざるを得ません。
さらに懸念しているのは、核兵器の使用を示唆するような発言、いわゆる「核の脅し」が常態化しつつある点です。こうした言説が繰り返されることで、核使用の心理的ハードルが下がってしまうのではないかという強い危機感を持っています。AIやドローンといった新しい技術が戦争のあり方を変えており、それが核兵器の運用システムと結びついた場合のリスクについても、まだ十分に議論されていません。
今回のNPT運用検討会議ですが、正直に申し上げて、簡単な会議にはなりません。非常に難しい交渉になるという認識は、ほぼすべての加盟国で共有されています。特にグローバルサウスの非核兵器国の間では、「NPTに参加していて何の意味があるのか」という不満や不信感が強まっている状況があります。
NPTは、本来、核不拡散、核軍縮、そして原子力の平和利用という3つの柱から成る、国際安全保障の基盤となる条約です。これまでは、この枠組みがすべての国にとって利益をもたらすものだという共通認識がありました。しかし現在は、そのバランスが崩れつつあり、特に核兵器国による軍縮の進展が見えないことに対する不満が高まっています。
もし今後、運用検討会議で成果文書が出せない状況が続けば、条約が実質的に空洞化してしまうリスクがあります。存在はしていても、信頼されず、機能しない枠組みになってしまう可能性があるということです。
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*** 今週の教養講座(中満泉・日本記者クラブNPT会合講演②)
具体的な課題としては、いくつか重要な点があります。まず1つは、核兵器国のコミットメントをどう担保するか、つまり説明責任、アカウンタビリティの問題です。これまでの約束がどの程度履行されているのか、それを検証し、フォローアップする仕組みが十分ではありません。
2つ目は、核兵器国同士の対話の不足です。現在、核兵器国の間で実質的な軍縮交渉が進んでいるとは言い難く、共通認識も十分に形成されていません。この分断が、NPT体制全体の弱体化につながっています。
3つ目は、不拡散体制そのものへの新たな挑戦です。たとえば、核開発の疑いがある国に対して軍事力で対処するという動きが見られるようになっていますが、これはNPTの枠組みの外で問題を解決しようとするものであり、条約の信頼性に影響を与えかねません。
さらに、核施設への攻撃の問題や、北朝鮮の核・ミサイル開発といった具体的な地域課題もありますし、AIや宇宙、サイバーといった新しい領域でのリスクも無視できません。
ただ一方で、少しポジティブな点もあります。それは、こうした危機的状況に対する認識が、多くの国で共有されているということです。どの国も、このままではいけない、何とかしなければならないという思いを持っています。
今回の会議では、非常に野心的な合意を目指すというよりは、現実的に達成可能な成果を積み重ねることが重要になると思います。場合によっては、これまでよりも簡潔で、優先順位を絞った成果文書になるかもしれませんし、形式についても柔軟に考える必要があります。
プロセスそのものも重要です。特に非核兵器国が、自分たちの声がきちんと反映されたと感じられるような、インクルーシブで透明性の高い議論を行うことが、結果として条約への信頼を維持することにつながります。
最後に申し上げたいのは、私たちは決して諦めてはいけないということです。状況は確かに厳しいですが、それでも対話を続け、合意点を探り続けることが必要です。NPTは依然として、核をめぐる国際秩序の中核にある枠組みです。この枠組みを維持し、強化していくために、今回の会議を何とか意味のあるものにしていきたいと考えています。ありがとうございました。
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*** 今週の教養講座(中満泉・東大大学院入学式講演③)
今回からの2回は、東大大学院入学式でのあいさつです。
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新入生の皆様、東京大学大学院入学おめでとうございます。心からお祝い申し上げます。
私がアメリカのジョージタウン大学院に入学したのは40年近く昔の1987年です。その年の12月にはアメリカのレーガン大統領とソ連のゴルバチョフ書記長が中距離核戦力全廃条約(INF)に署名し、冷戦が終結に向かいつつあることを肌で感じ、まさに歴史の転換期にあることに若い学生として興奮を覚えたことを記憶しています。世界中から集まった様々なバックグラウンドを持つクラスメート達と、新たな国際関係とこれからの歴史がいかに進展するのかといった議論の輪に、当時はまだあまり流暢でなかった英語で参加して大いに刺激を受けたものです。そして私が国連に奉職した1989年の終わりに冷戦が正式に終結し、ポスト冷戦期が始まりました。
皆さんが大学院での研究生活に入る今、私たちは再び歴史の大きな転換期にあります。冷戦が終結した時以上の、地球人類にとっての重要な分岐点とも言えるかもしれません。
ヨーロッパや中東での戦争のニュースからも明白な、軍事大国の地政学的な競争・緊張関係が再来しただけではありません。世界は多極化し、より複雑になり、大きなパワー・シフトの只中にあります。同時に世界中のデータを保有しデジタル・インフラを支配し、実質的に社会インフラも運用するような、国家権力を超える大きなパワーを持つ民間企業が存在するようになりました。そして国際社会が長い時間をかけて、大きな悲惨な戦争の教訓をもとに作り上げてきた国際法に基づく国際秩序そのものが弱体化し、いくつかの大国の攻撃もあって根本的に揺らぎ始めています。これらの複雑で困難な環境の中で、とてつもないスピードで科学技術の進展が進み、私たちの社会の全ての側面が根本的に変わろうとしています。日常生活から教育、医療、経済や雇用・労働、そして戦争の戦い方まで。
私たちが存在する現在の世界の「デュアリティー=二元性」に注意を払わなければなりません。1つの事象について、相反する異なる側面が存在しているということです。この相反する側面の両方を理解することは、未来に向けた分岐点にある私たち人類が、正しい選択をするために必要なことです。いくつか簡単な例を挙げてみましょう。
例えば、全世界の資産は21世紀を通じて増加を続けています。世界全体で見れば、私たちはより豊かになっているわけです。特に、世界のビリオネアの富は2020年以降で81%も増加しました。しかし富裕層上位10%が世界の富の75%を保有し、同時に世界にはいまだに7億人ほどの人々が1日を2.15ドルで暮らす極度の貧困状態にあるのです。このような格差・不平等の拡大は、例えば経済学者トマ・ピケティによれば、資本収益率が経済成長率を上まわり続けるために資産を持つものがさらに豊かになる、という経済システムの構造的な要因があるためです。
食糧生産でも似たような状況にあります。世界の穀物生産量は28億トン以上、世界のすべての人々が十分に食べられるだけの食料が生産されています。それにもかかわらず、世界人口の12人に1人が飢餓に直面しています。生産された食料の3分の1が破棄されているというフードロス問題もありますが、2022年のロシアのウクライナ侵攻をきっかけに各国で食料価格が高騰し、インフレーションが進んでいることも、世界中で低所得の人々の十分な食料確保を難しくしています。
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*** 今週の教養講座(中満泉・東大大学院入学式講演④)
私たちの未来をとてつもなく豊かにより良いものにしてくれるであろう、驚異的な進展を続ける科学技術にも、大きなプラスの側面と、恐ろしいマイナスの可能性があります。AIやバイオテクノロジーの進歩は、難病の治療を可能にするでしょうし、農業生産、エネルギー産業、地球環境問題や気候変動など多くの地球規模課題の解決に貢献することは間違いありません。同時に、多くの専門家がAIのいわゆる「破滅的リスク」を回避するためのガードレールが必要であると主張しています。そして、その緊急性はますます高まっています。
事実、AI企業のアンソロピックやOpenAIは先月、生物化学兵器分野の専門家の募集を始めました。すでに数年前から、AIがわずか数時間で数万もの、化学兵器に転用可能な毒性の強い化合物のデザインを作成可能であることが判明しており、破滅的な悪用を防ぐために企業自身による自社技術の安全性を高める努力が必要になっているのです。化学兵器や生物兵器に関しては禁止条約がありますが、AIなどの技術の影響を防ぐには完全とは言えず、軍事・安全保障分野全般でのAI開発・利用に関する国際的な規範やガバナンスの必要性は、国連でも議論は始まっているものの、いまだ整備はされていません。
私たちの立っている分岐点とは、格差と不平等が固定化し拡大していく社会経済のあり方を見直し、誰一人取り残すことなく皆が豊かさの恩恵を受けることができ、結果的に安定した繁栄する世界を構築していく道を選ぶのか、それとも極端な社会の歪みを正すことなしに、多くの人々を困難な状況に置き去りにして、どこかで大きな破綻をもたらすリスクを持つ道を選ぶのかという分岐点です。そしてシンギュラリティー(技術的特異点)が本当に起こるのか、いつやって来るのか専門外の私にはわかりませんが、私たち人間がAIに使われ支配される未来ではなく、AIのもたらす恩恵を最大限にし、人間がこれを使う未来にするための基盤を作れるのか、という分岐点でもあります。人間のみが持ちうる創造性や、私たちが時間をかけて発展させてきた倫理的な価値観や規範をもとに、いわば新たな文明を作るための分岐点もしくは出発点とも言えるのかもしれません。
皆さんは、このような重要な歴史の転換期に東京大学大学院での研究生活を始めるわけです。今年1月に亡くなったハーバード大学名誉教授で日本人初のアメリカ歴史学会会長でもあった入江昭先生は、歴史学を現代と過去との対話であり、未来を設計するための活動でもあるとし、国境を越えた「知の共同体Community of Knowledge」の重要性を強調しました。歴史学に関わらず、玉石混交の膨大な情報があふれる時代だからこそ、誠実で学究的な専門的研究こそが、未来に役立つ知識と知恵を生み出すのだと思います。皆さんは、そういった「知の共同体」のメンバーとなるわけです。できれば、自らの専門領域を超えて、学際的な知の好奇心を持って欲しい。異なる分野の専門家ともネットワークを築き、協働して欲しい。先に述べたテクノロジーのガバナンスの議論において、様々な科学技術分野と社会学、倫理学、国際法、哲学などいくつもの分野の知見の融合が欠かせないと私自身、実務で実感しているからです。
今日ここに集う女子学生の皆さんに、特別なエールを送ります。皆さんは、間違いなく競争を勝ち抜き、明確な目的を持って大学院での生活を始めることでしょう。どうか、初志を貫徹してください。誰に媚びることも忖度することも遠慮することもなく、かといって無理に肩肘張ることもなく。私たち女性同士で助け合い、心ある男性たちとも同盟を組みましょう。そして、何よりも充実した日々を楽しみ幸せであってください。自分がパッションを持って目的を追求するときの苦労は、苦しいものではなく人生の充足感になることを私は知っています。心から応援しています。
皆さま、ご入学重ねておめでとうございます。どうかここでの経験が、あなた自身の人生を豊かにするだけでなく、周りの人々・脆弱な立場の人々を助け、あなたの属する社会や国、そして世界にも貢献しますように。そして私たち皆の未来を安全で豊かなものにする、歴史を創る作業に参加する旅路が、あなた自身の幸せと大きな達成感をもたらしますように。
Bonne chance, Bon courage and Bon voyage.
