天才作家たちの日課

2026.11.04教養講座

*** 今週の教養講座(天才作家たちの日課①)

 天才と呼ばれるような人は、どんな毎日を過ごしていたのだろうか。米国のフリーライターが著した「天才たちの日課 クリエイティブな人々の必ずしもクリエイティブでない日々」(メイソン・カリー著、2014、フィルムアート社)から探ってみたい。著者は天才たちの「ルーティン=日常的な習慣」に着目した。よい習慣は「頭脳に余裕ができ、真に興味深い分野に進むことができる」からだ。

著者の結論は「多くの人は、日々仕事に励みながら、その進み具合に完全に自信を持っているわけではなく、1日休むだけでも、仕事の流れが途切れるのではないかと、常に不安に思っている。誰もが時間をやりくりして仕事をやり遂げている。ただし、そのために生活をどのように組み立てているかには数え切れないバリエーションがある」。凡人とあまり変わらない日常も見えてくる。天才作家5人の日課を紹介する。

◎アガサ・クリスティー=1890~1976、イギリスの推理作家。著書に「そして誰もいなくなった」「オリエント急行殺人事件」など。

 アガサ・クリスティーは自伝の中で、本を10冊書いた後でも、自分をプロの作家だとは思わなかったと述べている。書類の職業欄にも、「主婦」以外に記入する気にはなれなかったと述べている。「おかしなことに、結婚した当初に書いた本についての記憶はほとんどない。多分、普通の生活を非常に楽しんでいたので、書くのは時々、集中的にやるだけだったからだと思う。自分の部屋というものはなかったし、こもって書くような場所もなかった」。

そのせいでクリスティーは、取材があるといつも困った。記者は必ず机の前にいる著者の写真を撮りたいというからだ。だが、そんな場所はない。「私に必要なのは、しっかりした台とタイプライターだけだった」とクリスティーは書いている。「寝室にあった大理石の天板の洗面化粧台は、いい執筆場所になった。食事の合間の食卓もよかった」。

多くの友人にこう言われた。「一体いつ本を書いているの? 書いているところを見たこともないし、書くためにどこかへ行くのを見たことがない」。私はきっと、犬が骨をくわえてどこかへ行くときのようにしているのだろう。犬はこっそりその場を立ち去って、30分かそこら姿を見せない。戻ってきたときには、鼻に砂をつけて、決まり悪そうにしている。

私も、これから執筆しようという時は、少し恥ずかしい気持ちになる。でも、いったんその場から離れてしまえば、扉を閉めて、邪魔が入らないようにする。あとは全速力で書き進められるし、書くことに没頭できる。

    ♦

*** 今週の教養講座(天才作家たちの日課②)

◎マルセル・プルースト=1871~1922、フランスの作家。著書に「失われた時を求めて」

 「1つの作品の制作に人生の全てを支配されるとは、本当に忌まわしいことだ」。プルーストは1912年にそう書いている。1908年から死ぬまでの全人生を、時間と記憶にテーマとした不朽の名作「失われた時を求めて」の執筆に捧げた。

この仕事に集中するため、1910年、世間から引きこもることを決意した。ほとんどの時間をパリの自宅アパートにある有名なコルク張りの部屋で過ごし、日中は寝て、夜に仕事をした。外出をするのは、全身全霊を捧げている作品のために、事実やイメージを取材しに行く必要がある時だけだ。

午後遅くに起きると、アヘンをベースにした粉末のルムラに火をつける。持病の喘息の症状を和らげるために使っていた。ほんの少量しか使わないこともあれば、何時間もいぶし続けて、部屋全体に濃い匂いが立ち込めることもあった。

そのあと呼び鈴を鳴らし、長年勤めて信頼のおける家政婦にコーヒーを持ってこさせる。それ自体、手の込んだ儀式だった。家政婦はカップ2杯分の濃いブラックコーヒーを入れた銀のコーヒーポットと、温めた牛乳をたっぷり入れた蓋付きの陶器のポットと、いつも同じパン屋で買ったクロワッサンを1つ持ってくる。そのあとプルーストは自分でカフェオレをつくる。

執筆はもっぱらベッドの上で行われた。「10ページも書くとぐったりする」とプルーストは書いている。疲れて集中できなくなると、カフェインの錠剤を飲んだ。眠るときにはベロナールというバルビタール系の睡眠薬を飲む。ある友人はプルーストに「ブレーキとアクセルを同時に踏んでいるようなものだ」と警告した。プルーストは気に掛けなかった。むしろ彼の場合、執筆の仕事には苦痛が必要なようだった。

苦しみには価値があり、それが偉大な芸術の基礎をつくると考えていたのだ。「失われた時を求めて」の最終編に、プルーストはこう書いている。「文芸作品がどれほどの高みを極めるかは、苦しみが作家の心をどれだけ深く削ったかによる。それは井戸を深く掘れば掘るほど、水面が上昇するのと同じだ」。

    ♦

*** 今週の教養講座(天才作家たちの日課③)

◎アーネスト・ヘミングウェイ(1899~1961、米国のノーベル賞作家。著書に「誰がために鐘は鳴る」「老人と海」など。

 ヘミングウェイは成人してからはずっと早起きだった。午前5時半から6時ごろ、夜明けとともに起きる。前の晩に遅くまで酒を飲んでいても同じだった。息子の回想によると、二日酔いとは無縁だったらしい。「父はいつでも元気そうに見えた。まるで防音室で黒いアイマスクをつけて赤ん坊のようにスヤスヤ眠った後みたいだった」という。

1958年、雑誌のインタビューでヘミングウェイは、早朝の時間の大切さを説明している。「取りかかっているのが長編であれ短編であれ、毎朝夜が明けたら、できるだけ早く書き始めるようにしている。誰にも邪魔されないし、最初は涼しかったり、寒かったりするが、仕事に取りかかって書いているうちに、暖かくなってくる。まずは前に書いた部分を読む。いつも次がどうなるかわかっているところで書くのをやめるから、そこから続きが書ける。元気が残っていて、次はどうなるかわかっているところまで書いてやめる」。

仕事を始める前に20本のHBの鉛筆を削ったと言われるが、そんなことはなかったらしい。「今まで一度に20本も鉛筆を持っていたことはないと思う」。本人がそう語っている。しかし、彼の独特の執筆中のクセは確かにあった。

ヘミングウェイは立って書いた。胸の高さまである本棚の上にタイプライターを置き、その上に木製の書見台を置いてそれに向かうのだ。最初の草稿は、薄い半透明のタイプライター用紙を書見台に乗せて鉛筆で書く。それがうまく書けると、書見台をタイプライターに変えて打っていく。

毎日書いた語数を表に記録していた。自分をごまかさないためだという。執筆がうまくいかない時は、さっさと切り上げて手紙の返事を書いた。それはいい息抜きになったという。本人の言う「執筆という厳かな義務」から解放してくれるからだ。

    ♦

*** 今週の教養講座(天才作家たちの日課④)

◎ウイリアム・フォークナー(1897~1962、米国のノーベル賞作家。著書に「響きと怒り」「アブロサム、アブロサム」)

 午前中に書くのが一番得意だったが、いつでも必要に応じて様々なスケジュールに対応することができた。「死の床に横たわりて」では、大学の発電所の管理者として夜勤に出る前の午後に書いていた。そのスケジュールに慣れるのは簡単だった。

午前中数時間寝て、午後はずっと執筆し、仕事に行く途中で母親の家を訪ねてコーヒーを飲み、たいしてすることもない仕事中に、しばしばうたた寝をした。以上のような生活をしていたのは、1929年のことで、1930年の夏にはボロボロの大きな屋敷を購入。その修復のために発電所の仕事を辞めた。

その後は、朝早く起きて朝食をとり、午前中はずっと机に向かって仕事をした。正午に昼食をとると、家の修復をしたり、長い散歩に出たり、乗馬をしたりした。日が暮れると、妻と一緒にベランダでくつろぎながらウイスキーを飲んだ。

酒を飲みながら執筆したと言われているが、ほんとうかどうかは定かではない。その通りだという知人や友人もいるが、娘はきっぱり否定し、「父はいつもシラフで執筆し、それが終わってから飲んでいました」と言っている。いずれにせよフォークナーは創作のための刺激を必要としているようには見えなかった。

最も脂が乗っていた1920年代末から1940年代初頭にかけては、驚くべきペースで仕事をし、1日に3000語から時にはその倍も書いた。母上に出した手紙の中で、「きょうは1万語を書いた。今までの最高だ」と書いている。「私は魂に動かされた時に書く」と述べている。「そして魂は毎日私を動かす」。

    ♦

*** 今週の教養講座(天才作家たちの日課⑤)

◎村上春樹=1949~、日本の作家。著書に「ノルウェイの森」「1Q84」など。

 長編小説を書いている時、午前4時に起き、5~6時間ぶっ通しで仕事をする。午後はランニングをするか、水泳をするかして雑用を片付け、本を読んで音楽を聴き、9時に寝る。「この日課を毎日変えることなく繰り返します」と2004年のインタビューで語っている。

「繰り返すこと自体が重要になってくるんです。一種の催眠状態というか、自分に催眠術をかけて、より深い精神状態に持っていく」。村上によると、長編小説を仕上げるのに必要な期間、ずっとそれを続けるには、精神的な鍛錬だけでは足りない。「体力が芸術的感性と同じくらい必要です」。

1981年にプロの作家になったが、それまで東京で数年間、小さなジャズクラブを経営していた。その時初めて座ってばかりの生活をしていると、急激に体重が増えることに気づいた。当時は1日にタバコを60本も吸っていた。そこで生活習慣を根本的に変えることを決意した。

妻とともに田舎に引っ越してタバコをやめ、酒の量も減らし、野菜と魚中心の食事にした。毎日のランニングも始め、25年以上続いている。自ら作り上げたこの習慣の唯一の欠点は、2008年に本人がエッセイの中で認めているように、人付き合いが悪くなることだ。

「何度も誘いを断っていると、人は気を悪くする」が、自分の人生で欠かすことのできないのは、読者との関係だと考えた。「読者は僕がどんなライフスタイルを選ぼうが、気にしない。僕の新しい作品が前の作品より良くなっている限りは。だったらそれが、作家としての僕の義務であり、最も優先すべき課題だろう」。